「都合よく虚構を取り入れればいい」と言うが、その"都合の良さ"を判断するのは誰か?
諸法無我なら、自分という存在すら固定されていない。
ならば「自分にとって有用な虚構」という発想自体、何かに執着しているのでは?
本当に概念に囚われないなら、「虚構を利用する自分」すら手放せるはず。
それができないなら、結局「都合のいい虚構」にしがみついているだけでは?