>>53
森田療法の真髄は基本的にあなたの体験と同じですね。
仏教の悟りはその極致と言ってよいと思います。

「ほとんどの気持ちは感情は自分から出たというより入れられたもの」
と書かれていますが、それは入れられたものと言うよりも、
生物的メカニズムのようなもので自分という個人のものではないと言う
方がわかりやすいと思います。

(自分自身の)「身心の反応」はすべて普遍的なメカニズムによって
起こっているロボットの反応のようなもので、「自分という個人のもの」
ではないということを自覚できるかどうかが要点ですね。

私は仏教を学ぶことでそれを体験して神経症が治ったので、あなたの書いて
いることがよく理解できるのです。

禅の場合は、「身心の反応」を見ている <意識> を鮮明に自覚することが
重視されます。この <意識> に個人性がある間は本物ではありません。
<個人性のない意識> (臨済録に書かれてある <無位の真人>)の自覚が
一応の到達点とされています。

>>54
>100%視線は送ってません

視線は送っていなくても、仕草や目の動きが不自然で挙動不審になっているので、
「この人何か変・・・、自分を見ているみたい」と思われてしまうのです。
自分がその人を(見ていなくても)意識し続けているのですから、挙動不審になる
のは当然なのですね。
ですから、自分がリラックスして他人を意識しなくなれば、他人も何も感じなく
なって治るということになります。