常に統制が取れるとは限らないのが、アラン・ケイのオブジェクト指向
Java的な意味でのオブジェクト指向とは異なる

>>871
>メッセージの意味を受け手側に委ねたら統制取れないだろ

オブジェクト同士は常に二人称で、「俺」←対話(メッセージング)→「チンポ」。
つまりチンポは独立し自ら考えて行動する別の生き物なのである。

 風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、
離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃○した陰○を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、
それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
 その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、
抵抗される人間の喜びを味わったのだ。

●これが衝撃の「障子破り」シーンだ! (石原慎太郎 『太陽の季節』 (新潮文庫) より)