しかし、思わぬ転機が訪れる。兄が高等養護学校の卒業生だったことから、知的障害者を支える福祉関係者が出入りするようになる。アキコさんは「家を出て、一人暮らしをしたい」とお願いした。
関係者は思いを受け、アパートを用意。医師の派遣や訪問看護の準備、そして日々の生活を支えるため、公的ヘルパーのほか、大学生や主婦らボランティア約30人が24時間、見守る態勢を整えた。みんなはこれを「地域ホスピス」と呼んだ。
亡くなるまでの7か月間。部屋では寝食をともにし、時にはスーパーに買い物に出かけ、盛り場にも繰り出した。「自己実現の旅」と題して、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行き、三重では伊勢エビを食べ、温泉に入った。ディズニーランドにも行った。
アキコさんは「もう少しだけ生きていたい」と漏らすこともあった。
願いはかなわなかったが、アキコさんは人生の最後に、自らで生きた証を残して去った。通夜の時、関わった人が一人一人あいさつした。共通していたのは「いっしょに同じ時間を過ごせてありがとう」という感謝の思いだった。
ある福祉関係者が言う。
「悲しいことだが、兄の事件がなければ、妹さんの存在はみんなに分からなかった」。もっと早く福祉の手が届いていれば、異なった展開もあったはずだ。そう思うとやりきれない。


無能(父)が無能(息子)を産んだ典型パターン