>>20
そういうポジティブな言葉をとにかく思考するというのは違うが、このようなことを思い出したりしてる。前のスレにも書いたやつだけど。

http://rinnou.net/cont_04/zengo/130201.html
>西田幾多郎という哲学者の代表的論著『善の研究』の序文に、「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」という難しい一文が見える。われわれは誰でも、「自分」が花を見たり、月を眺めたり、鳥の声を聞いたり、あるいは雪を冷たいと感じたりしていると思っている。しかし西田はそうではない、と言うのである。
 西田に言わせれば、「個人」が花を見たり月を眺めたりするのではない。むしろ逆で、花や月を見て美しいなあと経験することによって自己が形成されるのだと言う。今朝は寒くて外へ出るのは嫌だなあと思ったとき、寒いと感じる個人(自分)ができ上がる。そのように、自分という個人は、一瞬、一瞬、違った内容の個人として生き続けている。決して個人というような確固不動な実体はない。個人は「存在」ではなくて「生成」、つまりいつも進行形なのである。
 
〜
個人は「存在」ではなくて「生成」、つまりいつも進行形なのである。

・・アファメーション、座右の銘的にはこれかな。
まあそう思いながら全然変われてないけどね...