もう少し面白くしてくれ。つまんないから本読んで寝る。つまらないのは餌選びの僕の責任だ。ごめんね。おやすみ。

余った餌を撒いていく。

この後寝て、自分が死んだと告げられる。その後、一秒だけ生き返ることができると告げられたら僕はそのまま何もせず寝ているだろう。
もし一分なら家族に感謝の言葉を日記に記す。
もし一時間なら直接言葉で伝えるだろう。
もし一日なら行ったことのないお店で家族で食事をする。
もし一ヶ月なら、もし一年なら。
もし五年、いや、五十年なら何をするだろう。
百年与えられたら本でも執筆するか。

しかし、そのどれも結局は何もなくなる。死後の世界を考えての行動はあまり魅力的ではないように思う。その期間によって行動が変わるのならなぜ今の行動があるのか。なぜ今それなのか。どこがその行動の変化の境い目なのか。それはなぜなのか。

眠りは小さな死。
その前にやり残したことを後悔するか、それとも満足して伏すか。はたまた何も考えていないのか。もしかするとそれが一番楽なのか。合理的なのか。
僕はこの餌をあえて高く投げて波立たせる。食べるにしろただ沈むのを見つめるにしろこれは刺激であり苦痛を伴う全ての生命に関係するもの。そこで自分たちの行動や思考が正直に出てくる。

無言で見て驚き逃げる魚も頭に降りかかったことにさえ動じずじっとしている海老も無理矢理食わされるケヤリもこのカモメ爺の落としたハーブ入り団子をどうせるか楽しみにしている。波のある所に波をぶつけるわけだ。