魚や野草を見て思った。これを判別する能力は今後必要とされるのか。必死に子供が図鑑を覚える事、辞書を読んで難しい言葉を覚える事、素早く計算をする事。この先の世界でこれらの能力が��人間に�°≠゚られるだろうか。

今の時代なら自力で飛び抜けた才能を持つよりも正確な情報をいち早く収集し、それらを表現し自分以外の誰かと共有できる、そういったツールの駆使も含めて必要な能力だと言えるのかのう。
難しい四字熟語を覚えたり英語のスペルを間違えずにかくといったものは人が検索せずとも人工知能がそれに適した表現を自動で引用し、英語のみならず多言語にも翻訳し発音までしてくれる。

わしらの手に取ることのできる人工知能では人間が生きる意味やこのこれから人間にとって必要なものが何かを話し合うには全く相手にならない。優しさや思いやりは非常に大きな意味を持つ。

人間が中心から外れる世界が開始されたり、人間の中に完全な階層と役割が固定された別世界が実現してしまった場合に一部の人間と優秀な機械達のもとでわしらはどう生きていくのか。
生きるというのは何年何十年という見方ではなく、その一瞬じゃ。その一瞬にでも自信がなければその積み重ねの先は絶望じゃ。わしの場合は自分自身において表現が難しいのじゃがほぼ完結しておる。

なぜ完全ではないかというとわしは生きる上で必ず他の人間と接する。そこに無自覚の絶望の道を一生懸命努力を重ねて生きる健気な子供たちを見てしまう。そこには親がいてその周りにも人間がいて、皆一生懸命じゃ。
その一生懸命さが報われるのなら見ていて心が苦しくなることもないのじゃが、わしの勘は時に残酷な未来を見せる。無駄なんてないと綺麗事を言って今からまた立ち直せる程度の時間浪費ではない。

今こそそのこれからの必要なもの、能力などについて高IQ同士語り合わぬか。てかこの話し方はもういいか?爺になりきれんわい