死や自殺の哲学を煮詰めていけば肉体的苦痛を凌駕できると思って哲学書を読み漁り、
自殺を決行できたものの、助けられる可能性を忘れていた。
別に助けられた所で「また自殺すればいいや」と思い、
退院して暫くしてからまた自殺しようとしたら、病院で目覚めた時の記憶がフラッシュバックして躊躇してしまう。
助けられてまた病院で目覚めるのが怖い。
他者の善意で自分の努力を無にされるのが怖い。
また医師や看護婦に「助かって良かったですね」と言われようものなら私は今度こそ死刑になるまで人を殺してしまいそうだ。
しかし、私が人を殺そうものなら私に殺された人は何の努力もせずに私が追い求めていた「死」を享受してしまうことになる。
それこそ、何の価値も分からない、ましてや忌み嫌う連中に「死」を授けてしまう。
このパラドックスをどう解決すれば良いんだろう。