>>372
あやまることは、本当に必要なんだろうか
自分が一生懸命全力でやったことには違いがないんだ

あやまるという事は自分の過失を認めるってことだ
自分の悪を認めて、反省しなければならなくなる

本当に、自分が悪だったのか?
あれほど一生懸命やったのに、不可抗力ではないか?

しかし、相手が何か言った時
相手が困ったという感情は否定できるものではない
事実、「相手が困った」という感情は
感じたものだから、誰が何をしたとてだ

しかしその原因が自分なのか、何なのかはその次の事だ

だから私は、相手からクレームが来た時
一瞬、同じ側に立って
「そうですかあ、残念でした、大変でしたねえ」
と同情して、他人事にしてみる

あくまで
「私は一生懸命やった、
しかし、世の中のいろいろな事情により
あなたが被った被害で
残念な目に合ったという事に、同情しよう」

というイメージ