小児期に診断が降りた人、つまりADHDという概念がない時代にも
「手を尽くしても学校の手に負えない異常な子供」だった人なら
古典的で先天的なADHD像として比較対象にしていいと思うし、
そうでない人はどっちかと言えば軽症の部類には違いない

っていう意見に対して
・見過ごされていたけど脳内多動が……
・当時は発達障害が知られてなかったから……
・親も教師も見て見ぬふりをしてきたから……
ってなんか食い下がる気持ちがあれば、それが
医学を乗り越えてでも疾病をアイデンティティにする感覚なんだと思う
明日いきなり診断名が変わっても気にならない、って結構難しい